宗教体験とアイデンティティ
高校二年生の或る時期から、頻繁に”教会の鐘”のイメージが頭に浮かぶ様になり、友人に連れられ教会に通い始める(福音伝道足利教会)。翌年九月、宗教体験に見舞われ(礼拝中涙が止まらず、こんな自分の為にイエス様は十字架にかかって死なれたのだ、と実感。神様を受け入れたと感じる)、信仰告白して入信。バラ色の信仰生活が始まる。今までと180度違うアイデンティティを得る。
“イヤな予感”と罪の意識
大学進学に伴い、(当時の東ドイツ系)リーベンツェラー教団並木教会に通う。
順調に見えた或る日、教会からの帰り道で(自分でもうまく説明できないが)”イヤな予感”を覚える。幸せ過ぎて怖いだけだと打ち消すも、その日を境に祈ることが出来なくなり、六月には抑うつ状態に陥る。七月、再起を懸けて洗礼を受けるが、却って自分の信仰上の挫折(躓き)を確信。罪の意識に苛まれる。
模索
二年生の春休みに友人が投身自殺。三年生の二学期から休学。母教会(足利教会)では金銭トラブルから、教会幹部が牧師を追放。これらのことが重なって、帰る場所まで失う。並木教会からも離れ、単身、徒歩での四国遍路に出る。画集を見たり、展覧会へも積極的に出かける。特に仏教絵画の展覧会で衝撃を受け、専門的に学んでみたいと思う。私を案じた並木教会の牧師からカードが届く。「あなたが手を離しても、神様は握手している決して手を離さない」と記された物。しかし、自分が手を離した事が問題なのだと、頑なになる。
神様の元へ
「ニーチェと心中したくない」との思いもあり(自分としてはもう一度神様の元へ帰るつもりだった)、哲学思想学科ではなく、芸術学科(大学院博士課程)に進学。日本の仏教美術を専攻。実際は二つの学科を行き来する。その頃民族学を専攻していた友人がフィールドワークの為に四国遍路に出たと聞き、気楽なものだと密かに思う。しかし、遍路から戻って間もなく友人は服薬自殺。自分の至らなさに打ちのめされる。二度目の休学。
キリスト教へのこだわり
初めて精神科を訪ねるが、「躓き」を「自分一人で背負うべき十字架である」との覚悟が無く(当時は、心の病と信仰上の問題を切り離さなければ、どちらも解決しない、と気付いておらず)主治医と決裂。決定的な決裂の原因は、主治医から「そんなに苦しいのなら、キリスト教のいい所だけもらってバイバイすれば」との言葉がとても受け容れ難かったこと。自身も服薬自殺を図り、治療も投薬も放棄される。更に弟が交通事故で重体となり、博士課程も中退。
主治医との出会い
急激に症状が悪化するも、大学の付属病院では入院を拒否され、(本で知った病院が東京にあったので)上京。しかし、そこではすぐ入院できず、今通っている病院を紹介され、現在の主治医と出会う。彼の忍耐強く,真摯な姿勢に心を開き、信頼関係を築く。当初はB.P.O.(境界性人格障害、ボーダーライン)を疑われたが、最終的に広義のうつ病と睡眠障害と診断される。心の病は主治医に任せ、「躓き」に関しては自身で克服すべく、著作活動を開始。新作はホームページにて公開中。現在はクリニックに通っている。
現状
なお、現在の母教会は、日本基督教団阿佐ヶ谷教会(但し、教会とは距離を置くことで、己を保っている)。